友人からも「ネットで公開して欲しい」との要望を頂きましたので公開いたします。
賛否両論はあるかとは思いますが、一解釈として参考程度にして頂けたら幸いに存じ上げます。
また、これから先の内容は盛大にネタバレを含みますので、まだCLANNAD(クラナド)の詳細について知りたくない方、見ている最中なので、ネタバレして欲しくない方は、「戻る」ボタンを押してください。
読み手の方も、退屈しないように間間(あいだあいだ)に引用文献の画像を挟んでいきます。
(以下レポート転載開始)
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高校時代(18歳の時)に影響を受けた作品の中でも、特に印象深く残っているのが「CLANNAD(クラナド)」である。「CLANNAD(クラナド)」とは株式会社ビジュアルアーツに所属するゲームブランドの「Key」が2004年に制作した恋愛アドベンチャーゲームである。原作がゲームであることなどは大した問題ではない。それ以上に作品としてのシナリオに注目していきたい。現在は2007年に1期(全23話)の「CLANNAD」と2008年に2期の「CLANNAD 〜AFTER STORY〜(全23話)」で、アニメ界の老舗である京都アニメーションによって高いクオリティでアニメ化もされている。
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そもそもこのKeyとは、恋愛アドベンチャーゲームに「泣き」「感動」の要素を取り入れた「泣きゲー」ジャンルを確立した先駆であり、全ての作品で初版10万本以上の大ヒット級と言える売り上げを維持しているPCゲーム界のトップブランドである。同社作品に「AIR」「Kanon」という他の作品もあるが、それぞれインターネットの世界でも男女問わず幅広く人気があり、PCゲームの中では総合的に必ず上位になる。
今回はその中でも最近の作品で、シナリオライターの麻枝准が、3年半もの製作期間をかけて全ての力を出し切ったと言う「CLANNAD」の、特に「CLANNAD 〜AFTER STORY〜」を中心に言及する。また、このシナリオライター兼、作曲家の麻枝准氏は、カトリック系の中高一貫学校である海星高校卒業し、中京大学の心理学部を卒業していることも重要な手がかりとなる。
現代において、自室(あるいは家庭)を現実の空間であるとともに肥大した自己意識そのものとし、自分の内的世界がじわじわと現実の世界に浸みだして両者の境目が曖昧になった「引きこもり」の空間を形成していく神経症的な青年期の若者を知り、解決の一番の手がかりになるのが、90年代ならエヴァンゲリオン、2000年代は間違いなくこのCLANNAD(およびKey作品)であったろうと確信している。
(中略)
ここで「神経症的競争」という用語について説明する。神経症的競争とは精神科医のカレン・ホルナイ曰く、「自分と他人を対立的にした上で、違う競技の者とも競争しようとする」ことである。「自分が勝とうとか、成功しようとかではなく、他人が失敗することが重大である」とする復讐心を動機とした競争のことである。
今の中高生、特に進学校などでは顕著にこの神経症的競争が見られる。私が高校時代もそのような傾向があった。そんな時、友人の間で流行って貸し回されてきたのが、この「CLANNAD(クラナド)」であった。私は恋愛アドベンチャーゲームなどやったことはなかった(今でさえ、Keyの3作品以外はやったことがない)が、話題についていくためと、何よりもこれをプレイした友人たちが非常に情緒的に成熟し、落ち着いたことに衝撃を受けて、恥ずかしいながらも密かにプレイした経緯がある。
コフートによると、人は通常、大人になってくるにしたがって、自らの等身大の現実を知り、幼児期に形成された誇大自己像が破壊されて、それを補うために妄想でカバーしようとする。
しかし、幼児期を過ぎても温存された誇大自己が修復不能なくらいに傷付けられ、ついには破壊された時はその「妄想的復元」が起こるという可能性を述べているが、現代の青年期の若者が「妄想的復元」として、漫画、アニメ、コンピュータゲーム、特撮作品、フィギュアといったサブカルチャーなオタク文化に興味を示し、自らの欲求を満たすためにその世界に価値観を移行させようとするのはこのためであると考えられる。今考えれば、神経症者の集団の中で、当時はマニアックとされていた恋愛アドベンチャーゲームが流行ったこと自体、それぞれの誇大自己の崩壊の危機を背景とした内的現実の虚構から仮想現実の虚構への理想化や同一視や投影であったと考察される。
内的現実の虚構から仮想現実の虚構とは、哲学者の黒崎政男は”2つの虚構”として定義しているものである。コンプレックスや万能感から発生するのを「内的現実という虚構(と現実との混同)」、ゲームやネットワーク空間から発生するのを「仮想現実という虚構(と現実との混同)」と呼ぶ。この虚構はCLANNADの作品を解釈する上でも重要である。
CLANNADのあらすじは、町一番の進学校に通う高校三年の主人公の岡崎朋也が、かつてはバスケに情熱を燃やし、将来を嘱望されていた。しかし父親との大喧嘩による怪我で肩を壊してしまい、バスケの道を絶たれて目標を失って何もかも嫌になってしまう。
Blu-ray版:CLANNAD(1期)全話BOX
朋也は学校で問題行動を起こす不良少年となり、父親も息子に対して申し訳なく思い、息子と会話することもなく他人のように接するようになる。次第に父親は一人で酒に溺れるようになり、朋也はそんな父親と顔を合わせないように、父親が寝静まった深夜に帰宅して朝遅く起きる荒れた生活になると、必然的に遅刻を繰り返すようになり、大学進学も諦める。
DVD版:CLANNAD(1期)1巻(1話ずつ収録)
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そして迎えた三年目の4月に、登校時間をとうに過ぎた校門に続く長い桜並木の坂道の下で、ひとり立ち尽くしていたヒロインである古河渚と出逢う。長い闘病生活からやっと復学した少女は、自分を知っている同級生たちは皆卒業して二度目の三年生を迎えていた、という所から話が始まる。
その話と並行して、何も生まれず何も死なない「幻想世界」という一人の謎の少女とガラクタの人形の2人だけの存在する世界が登場して話が進んでいく。主にこの朋也と渚との恋人関係が話のメインになるが、1期の「CLANNAD」では、この学園生活の中での、生徒の伊吹風子、藤林杏、藤林椋、坂上智代、一ノ瀬ことみ、春原陽平、宮沢有紀寧や、恩師の幸村俊夫や伊吹公子などとの「出会い・別れ」や「恋愛」などが主なテーマになる。その中で朋也は相手が幸せになると現れる「光の玉」を貯蓄していく。
そして特に注目したいのは2期の「CLANNAD 〜AFTER STORY〜」である。
Blu-ray版:CLANNAD AFTER STORY(2期)全話BOX
Key作品の共通点として「絆」と「奇跡」がテーマとなっている。そしてその土地に土着した「神話」を必ず物語の背景にする。その中でAFTER STORYでは「家族愛」がテーマとなる。同級生は高校を卒業してバラバラになるため、AFTER STORYでの登場人物は、古河渚とその両親である古河秋生と古河早苗、朋也の就職した電気工事会社の上司である芳野祐介、朋也の父親の岡崎直幸が中心となる。
DVD版:CLANNAD AFTER STORY(2期)1巻(1話ずつ収録)
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古河渚は幼い頃から原因不明の病に犯されており、定期的に高熱を出して寝込み、その度に高校を停学するために何度も留年していた。結局、朋也が学校に通っていた三年時もその病のせいで卒業できず、朋也が卒業した後も高校に通った。渚が学校を好きだったのは演劇が大好きだったからである。これは両親が渚の幼かった頃に、渚の病による渚の身を案じて、忙しい演劇の仕事を辞め、その演劇の夢と引き替えに渚と一緒に過ごす生活を優先してパン屋を始めたことに起因する。その時、5歳の渚は生死の境を彷徨い、見るに見かねた父親の秋夫は町のはずれにある「森」に瀕死の渚を抱きかかえて連れ出して「誰か渚を救ってくれ」と願う。すると渚は奇跡的に生死の境から生還する。
その後、その場所を「奇跡の場所」と呼び秋夫は大事にし「この町は奇跡が起こる」という神話が町に残る。(そしてこの町が壊されるほど、渚の体が病に蝕まれていくが、そのことには最後まで登場人物の中の誰も気付いていない)。これは1期の最後で明らかになる事実である。朋也は高校時から、大嫌いな父親(直幸)がいる家には帰りたくなかったため、不良仲間で親友である春原陽平の寮と、彼女である古河渚の家(古河パン屋)に寝泊まりしながら学校に通っていた。そして伊吹風子の姉である伊吹公子の夫の芳野祐介との出会いによって、彼の勤める地元の電気工事会社に就職する。更に1年経って渚が高校を卒業し、高校時代の仲間を集めて祝福した後、朋也と渚は結婚し、地元のアパートの一室にて新婚生活を始める。朋也は電工会社で活力的に働いたことから親会社への出世の話が入ってくる。
しかし、その直後に朋也の父親の直幸が悪徳な商売を犯したことで逮捕されるため、朋也はまたしても夢を父親に握り潰されたと感じ、自らの人生を呪う。そんな中で渚が妊娠し出産を向かえる。だが、渚の母体はその苦痛に耐えきれず、岡崎汐(うしお)と名付けた女の子を産んで息絶える。
渚を失った朋也は、自暴自棄になり、酒とタバコ(口唇期に母親に満たされなかった幼児的願望)に明け暮れながら、汐を古河秋生と古河早苗に任せて5年間、ごく稀に顔を出す程度に間接的に育児放棄する。朋也は5才の汐を他人のように冷たい扱いをし、汐に対しての育児にもほとんど手を出さないでいた。汐もほとんど感情を表出せず、抑圧しているために無表情である。これはボウルビィの言うところの母性的養育の剥奪の結果である。
そんなある日、古河秋生と古河早苗が旅行のために朋也と汐が初めて二人きりになる。その時、古河早苗の置き手紙の計らいで朋也と汐が二人で旅行することになり、そこで朋也は父親の直幸が昔、自分を連れて行ってくれた花畑を見つけ、直幸と自分を重ね合わせる。そして、その先の水平線の見える高台で直幸の母親(朋也の祖父)の岡崎史乃に出会う。
そこで史乃から直幸も、朋也の母親の敦子の命と引き替えにささやかな幸せの中で朋也を授かり、朋也と同じように妻を失って自暴自棄となり、その水平線の見える高台から人生を再出発した事実を明かされる。朋也はその事実を聞いて父親の直幸が少ない収入の中でお菓子を買ってくれたことを思い出し、汐を同じ思いにさせていたと気付いて、汐と抱き合って初めて汐と朋也は抑圧していた感情を表に出して大声で泣き、直幸と同じようにそこから人生の再出発を誓う。史乃は直幸にもう実家に戻ってくるように告げ、直幸と朋也はお互いに和解する。
その後、朋也は汐とともに幸せな生活をするが、ある日、汐が渚と同じ病を発症する。長期的に寝込んだため、朋也も仕事を退職し、アパートの一室で二人だけの生活をする。ある雪の降る日、汐は衰弱した体で、また花畑を見に行きたいと言い出して聞かないため、朋也は汐の最後の願いを叶えるべく外に連れ出す。家を出て間もない頃、汐は旅行した幻覚を見ながら息絶える。朋也はそこで「誰か汐を救ってくれ」と強く願う。
その瞬間、物語と並行してきた幻想世界の少女も死ぬ。するとガラクタ人形とともに幻想世界は崩壊し、このガラクタ人形が朋也で、謎の少女が汐であったことが発覚する。朋也はその記憶を覚えた状態で、”時”は校門に続く長い桜並木の坂道の下で、ひとり立ち尽くしていた古河渚と出逢う場面まで逆行する。そこで朋也は渚に再会を果たし、次に汐が産まれて渚が死ぬ瞬間まで時が遡る。しかしそこで渚は死なず、汐も無事に成長する。この奇跡を起こしたのは朋也が今まで関わってきた人物(町)の幸せの象徴である「光の玉」であった。
そして3人で花畑と水平線の見える高台のある史乃の元に旅行してハッピーエンドを向かえる物語である。
「幻想世界」は、現実世界の「町」に住んでいる人々の思いで作られている。そのため幻想世界は町(人々)の意志であり、人々の幸せの象徴である「光の玉」は幻想世界から会得している。幻想世界の時間空間は、現実世界と無関係であり、朋也が、同一の時間空間にしか存在しない各登場人物の思いである「光の玉」を貯蓄出来たのは、幻想世界の持つこの特性が主な理由であり、彼はいろいろな町の人々との「出会い」の中で「光の玉」を集めて「幻想世界」に召還されて、再度新たな人生を歩んでいたのだということが後から解釈される。つまり例えるならば、精神世界での輪廻をしていたのだ。
幻想世界の謎の少女・汐が、父親である父親のガラクタ人形・朋也を作り出し、かつて母親の渚(5歳当時)を奇跡で救っていたのだ。幻想世界(謎の少女・汐とガラクタ人形・朋也)は「境界を超越した世界観」である。境界とは、生と死、この世とあの世(現実と虚構、唯物と観念、意識と無意識)などの様々な境界の意味を含める。朋也がガラクタ人形として描かれているのは、(語弊があるかも知れないが)性別を持たないエディプスコンプレックスだからである。そもそも母親も父親とも関わりが薄く、自我が安定しない朋也は、物質的なガラクタ人形の投影として謎の少女・汐に創り出された。
汐が少女として性別を持っているのは、たまに会う朋也のことを父親として希薄であるが認識していたことによる。現実世界の汐も朋也も母親の命と引き替えに自らの命を授かっており、母親は知らない。そして汐は、5歳になるまで自分を育児放棄していたパパ(朋也)を断片的にしか知らなかった。だから性別を持たないガラクタ人形としての父親像を創造する。
そして逆に謎の少女・汐はガラクタ人形・朋也の未発達の女性性(アニマ)でもある。ガラクタ人形の朋也も自分の母親をよく知らない。しかし謎の少女・汐が幻想世界で死ぬ瞬間に、初めてガラクタ人形・朋也に「さよなら、パパ。」と性別を与えて死ぬ。ここで謎の少女・汐の中で、初めて女性の内なる未発達の男性性(アニムス)が生まれたのである。朋也という父親を知ったと言うことである。だからこそ死と共に幻想世界自体も崩壊して、無意識下の抑圧のカタルシス的な解放によって、今までの断片的な物語が統合されて奇跡を起こしたと考えるのが妥当である。
この幻想世界の証明には「超ひも理論」がすでに作中(1期)に登場しており、幻想世界は現実世界と表裏一体の「もう一つの世界」として説明される。また、内的現実の虚構と、仮想現実での虚構という2つの虚構も作中で投影されているように思われる。
ユング心理学では、集合的無意識を神話的な原像とする。CLANNADならば、集合的無意識は町の人々思い(光の玉)であり、それとリンクして奇跡の場所=幻想世界(謎の少女・汐)がある。奇跡の原動力となったのが、町の人々との出会い(御縁)と、朋也がそこで人間の幸せと関係性を学んで、その人々に関わって幸せにしてきた「愛」としての「光の玉」の結晶である。
かつて精神分析家のジョン・ボウルビィは愛着理論にて愛着行動を唱え、人の本能は生の本能、死の本能、と「愛着の本能」があるとし、母親の共生関係は大人になってもその考えは残ると言った。この作品はまさにその愛着理論を象徴している。
「愛」の中でも、とりわけこのような自己犠牲とは、ウィニコットの対象関係論における原初的没頭、すなわち「無償の愛(grace、慈愛、神の恩龍)」とも言い替えられることがある。「強欲と拝金(ratio reason、ラチオ・リーズン)」のユダヤ教に対して、イエスやムハンマドやお釈迦様が「神との恩寵(grace、グレイス、慈悲、慈愛、無償の愛)」の思想で「人を動物のように扱わないでくれ」と説いた。これらは自己満足などの利己的行動や、打算も含めた利他的行動を超えた、そんなものが通用しない「自己犠牲(無償の愛)」である。シナリオライターの麻枝准氏は、カトリック系の高校出身で、中京大学の心理学部出身のため、このような「愛」や「奇跡」を背景としてユング心理学的な世界観を取り入れたのだと思われる。
日本では同じ理系に思われている物理学におけるアインシュタインがフランスのアンリ・ポアンカレから奪った一般相対性理論と、量子力学のボーアの量子論は今でも対立し続け、近年、光速度の1.7倍の速さの物質が観測されてしまい、相対性理論は歩みを止めて崩壊しそうな中で、量子論は発展し、超ひも理論を生みだし、そして神学(数学)の中からM理論やヌース理論が誕生してきたのだ。そのような学問体系の発展もこの作品は示唆している。
私は高校時代にこの作品に出会えて本当に良かったと思う。この作品によって「愛」を始めした「絆」「御縁」、何よりも「家族」の大切さを知った。神経症者だった自分や同級生をこの作品は一気に解消してくれたように思う。何よりも朋也の境遇が、あまりにも自分の父親とも重なっていたために何度も泣いた。一種のカタルシス効果がある。このように感じたのは私だけではなかったように思われる。ネットの間では「CLANNADは人生そのものだ」という意見から「CLANNADは人生」と定型文のように呼ばれるようになったが、本当に人生そのものを変革させた至高の作品であった。この作品を通して、人間の本質にあるのは、やはり「愛」であり、それを支えているのは「御縁」という人間相互の関係性であると改めて実感することが出来た。文章で説明するにはここまで難解な物語であるが、実際に説明しきれないほどに奥深い解釈を持った作品でもあり、是非一度、現代の青年期の若者の心理的ニーズを把握する上でも、ご試聴されることをお勧めしたい。
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(転載終わり)
参考文献
和田秀樹(2000)『痛快!心理学―Global standard★psychology』集英社インターナショナル
和田秀樹(2007)『「うつかな」と思ったらまず読む本―「つらい気持ち」をらくにする70のヒント』海竜社
香山リカ (2002) 『インターネット・マザー』河出書房新社
加藤諦三(2008)『やさしい人』PHP研究所
加藤諦三(2004) 『「不機嫌」と「甘え」の心理 なぜ人は素直になれないのか』PHP研究所
小室直樹(2000)『日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか』徳間書店
太田信義(2002)『超弦理論・ブレイン・M理論(シュプリンガー現代理論物理学シリーズ) 』シュプリンガー・フェアラーク東京
ジャン・ラディック・深川洋一 (2005) 『アインシュタイン、特殊相対性理論を横取りする』丸善
副島隆彦(2008) 『副島隆彦の人生道場』成甲書房
副島隆彦 (2005) 『金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ』祥伝社
副島隆彦(2002) 『決然たる政治学への道』弓立社
野田正彰(2005)『この社会の歪みについて ―自閉する青年、疲弊する大人』ノビキスタジオ
CLANNAD -クラナド- 考察(2009年7月24日アクセス)一部のみ参考にした
ttp://ziro.jp/view_studio/key/clannad2.htm
加藤諦三/講演テープ(2009年7月24日アクセス)
ttp://www.katotaizo.com/lecture/index.html
そんなわけで長文になって恐縮でしたが、みなさまも是非、この作品をご覧になることをオススメいたします。
早稲田大学教授の東浩紀氏も大絶賛している作品です。
CLANNADのヤンキー性についての考察(早稲田大学の東浩紀 教授)
http://www.youtube.com/watch?v=kdmUscikhEE
Blu-ray版 Blu-ray-BOX
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